私の被災と減量について(その2)
(承前)
震災により体重が,平成24年には元に戻ってしまった。
毎年の健康診断で,脂肪肝を指摘されるようになったが(平成23年2月には問題ないと言われたのに),もう,何というか対応する気も無くしていた。
震災関連事件などでかなり忙しく,当然,お酒も飲み,とても,あんなダイエットに取り組めないと思っていたのだろう。
記述が前後するが,平成24年4月からは,弁護士会の常議員となり,仙台に定期的に行くようになったが,それで一人酒が進み,これが決定的だったと思う。
それが2年ほど続き,重い腰を上げたのは,昨年・平成26年4月である。
特にきっかけがあるわけではないが,自宅での晩酌を止めた。
止めたというのは,自分なりには本格的で,今度はノンアルコール飲料も飲まなかった。ただ,お祝い事があったと称しては飲むので,週に1,2回は飲んでいただろう。
さっぱり痩せず。
ただ,飲酒を止めると,夜も移動でき,自宅に帰ってからまた事務所に行けるので,それはよかったと思う。
平成26年8月ころから,藤沢町のプールに通うようになり,すぐ1キロ泳ぐようになった。同時期に,炭水化物を食べるのを止めた。
酒も更に節制した。
が,これでも殆ど痩せなかった。
あれほどお酒を飲まない正月を,経験したことはないのに。
年が改まって平成27年,2月より,ようやくカロリー計算を取り入れた。
スマホのアプリで,ともかく日々口に入れるものを入力し,必要カロリーを超えないようにするのだ。
これが私の性格にあったのか,カロリーを摂ったのが見えるのが嫌で,必要カロリーを1000下回ることもざらにある。朝食も,昼食も,殆ど全く食べないのだ。
一度飲みに行くと,とんでもないカロリーを摂ることも可視化され,つくづく分かった(で,翌日以降の体重に,確実に反映される。)。
この生活が始まって1か月余,ようやく体重は90キロを切った。
それでも,あと10キロは道程がある。
どうやら,やはり自転車が効果的なようなので,また再開しよう。
「被災」から「復興」するのは,何事によらず,大変なことだ。