三陸ラビリンス気仙沼(弁護士東忠宏)

気仙沼の弁護士東が,弁護士活動において考えたことなどを書いています。毎週日曜日に更新記事をアップするのを、目標とします。

私の被災と減量について(その1)

私の被災は,物としては事務所全壊,自宅大規模半壊,車3台流出で,幸い,親族の身体等には何もなかった(避難所で体調を崩した者もいるが)。

 

物は,まぁ働いて頑張ればいいのだが,思い返す度に辛いのが,せっかくダイエットに成功していたのに,また体重が増えた・戻ったことだ。

このことを,備忘がてら書き付けておく。三度目のダイエットはしたくないので。

 

震災前の健康診断で脂肪肝を指摘され,一念発起,平成22年10月より,酒は一切飲まず(サントリー「オールフリー」のみ),ロードバイク(自転車)で自宅ー岩井崎間を毎朝のように走り(仕事に行く前,休日など一日二往復したこともある。),しばらくすると,それに慣れていった。

初めての本格的ダイエットのせいもあろう,体重は順調に減り,一時期の95キロから77キロくらいまで落ちたはずだ(私は身長181センチ)。平成23年2月には。

この体重は,司法修習生当時以来のもので,ほぼ10年ぶりであった。思えば,30代はそれまで,ずっと90キロ台で過ごしてきたのだ。

 

振り返ると,平成23年2月といえば,その前年末に自宅は建ったし,フィットを買って某車を売る,初めてのイソ弁を迎え入れ,その年度末にひまわり基金の任期は終える・定着の予定としていたなど,およそ気楽な生活をしていた(そこにダイエットの成功!)。

 

で,被災となったのだが,今振り返っても,私は引っ越し作業の類は苦手で,現場仕事など何の役にも立たないのだが,気持ちは力仕事をしている気になっていたのだろう(しかし,実際はろくに動いていない!),居候させて貰っていたお宅で,いい気になって丼飯を食べ,むやみに飲む日々を続けてしまった。

一つには,震災直後の避難先で,思うように飲めなかった恨みがあったのかも知れない。

 

そして,むやみに生鮮食品がおいしく思えた。生鮮食品といっても大したものではない,コンビニのサンドイッチのようなものが,何だか旨く思えて無性に食べたくなるのだ。これもおかしなことで,私は被災しても,食べ物に困って空腹に苦しんだことなど全くないはずなのだ。被災風景ばかり見た人間の本能か。

 

せっかく半年以上,禁酒に努め,運動に励んでいたところへ,ろくに動かず,飯ばかり食べ,飲酒も再開したのだから堪らない,体重はあっという間に急上昇し,平成24年には90キロを超えたはずだ。

(続く)