「お山がけ」(重要無形民俗文化財)覚書き
昨日の「お山がけ」。
なんと,参加した二男の写真が載ったので,嬉しいついでに書いておく。
(すぐ後の,黄色い帽子の男性は,兵庫県明石市から来た,我が父親)
指定文化財|重要無形民俗文化財|羽田のお山がけ - 宮城県公式ウェブサイト
羽田のお山がけ
重要無形民俗文化財(風俗慣習)|気仙沼市|
羽田のお山がけは、7歳の男児が上羽田地内にある羽田山に登拝し無事成長を祈願する行事である。このお山がけは「親子お山をかけるな」といわれており、付添いの男性は子供の父親ではなく、祖父や親戚の男性がつとめることとな,ている。この行事の参加者は気仙沼市内はもとより、唐桑町、本吉町などからもみられ、広範囲に及んでいる。
お山がけを無事済ませると男児を中心に、親戚や近所の人を招いてオフルマイを行い、お山がけが無事済んだことを披露する。
この行事は、男児の無事成長を祈願して行われるもので、その参加者が広範囲に及ぶことや、またお山がけをしないものは、一人前の男とみなされず、沖のりもさせられないという所もあるなど、子どもが成長過程において必ず経験しなけれぱ成らない儀礼と考えられて、現在も盛んに行われている。
とある。
にも詳細があり,子どもが多かった時代の気仙沼を偲ばせる。
以下,備忘。
1 鉢巻き・オイズル(背中に付ける白い布)・竹の杖(先端は白い布で巻く)は,神社で借りる。自前で準備してもよい。
2 9:00の朝一組参加が,やはりよい。駐車場が混むので,8:30までには着きたい。
3 およそ1時間15分程度の行程。
待つ者らは,10時過ぎにも,階段を上って迎えに行けばよい。これも結構きつい。災難に「遭わない」とのことで「あわ餅」を売っている。
4 その後,餅薪などを経て,11時過ぎに帰るとして,帰ったらお振る舞いである。
いつか,孫の祖父として,再び羽田神社に行く日があるだろうことを期待して書き付けておく。
続・気仙沼司法小史(畠山郁朗判事)
先日,「官報検索サービス」を申し込んだので,一挙,
「裁判所気仙沼支部」(地裁・家裁の趣旨)
で,検索してみた。
前者は,地方と言えども8000件超あった。
が,読んでみて面白かった。
戦後間もない時期の,失踪宣告の届出先としての裁判所時代のこと,
1頁で数年分が表示できる牧歌的時代,
昭和末期より徐々に,破産裁判所としての役割が増えていること,
(1頁で20件なので,全体で400頁ほどだが,昭和は最初の100頁くらい)
各弁護士の当時の事務所や取り組み,
もちろん企業の趨勢も分かる。
数年に一度の割合で,積極的に限定承認にもトライされているのも面白い。
一部無罪があったことは知っているが,無罪公告は見つけられなかった。
自分が当地に来た後の,占める割合なんかも,なんとなく分かる。
そして,「畠山郁朗」判事の取り組みも,なんとなくは分かった。
彼が,石巻・旭川などを経て志津川にいたり,気仙沼で10年に亘って尽力され,後に古川,少し東京なども行って仙台で定年まで勤められた。
弁護士も10年ほどされたようだ。
志津川簡裁を締める間際の,昭和60年に志津川出張所で相続財産管理人をしたのも,その縁なのだろう。
褒賞は2度か,弁護士登録抹消公告を見たときは,少し胸打たれるものがあった。
この人についても,調べてみたいものだ。
続・気仙沼司法小史
近時,必要あって「官報検索サービス」を申し込んだ。
https://search.npb.go.jp/kanpou/
いつまでも続けるわけではないので,ともかく「気仙沼」「志津川」に関するデータを拾い尽くすことにした。
ある個人が○○した時期とか,法人が○○した時期とか,それらは法的にいかなる状態だったのか,事実上に過ぎないのか,正確に知りたいことはいくらであるのですよね。
で,その副産物。
先日の,仙台地方裁判所気仙沼支部に赴任した裁判官の話の続きです。
不明~ 昭和24年1月25日 松本晃平
昭和26年10月16日~昭和35年3月31日 畠山郁朗
昭和35年 4月 1日~昭和38年4月 8日 遠藤昌義
ではないでしょうか。
ではないでしょうか,というのは,松本判事の終期,畠山判事の始期,遠藤判事の始期を見つけたので,上記のように推測したのです。
これによると,いかにも畠山判事の任期が長すぎます(約10年!)が,しかし,始期は官報から確実です。
昭和32年2月14日判決労働関係民事裁判例集8巻1号129頁にも気仙沼支部裁判官として名前が出ていますから,ともかく任期は長かったのでしょう。
ちなみに,古川支部判事として,昭和38年2月20日判決家裁月報15巻6号127頁というのもあるようです。
松山事件の第一次再審の古川支部裁判長もしたようですが,ダメだったようですね。
松本晃平判事は,今回初めて知りましたが,裁判例集を見ても,気仙沼から転出された後の活躍は分かりますが,気仙沼時代はよく分かりませんでした。
気仙沼司法小史(構想編)
〔気仙沼司法小史〕
遂に,全裁判官経歴総覧から拾った。
今まで,やろうやろうと思いつつ,面倒でできなかったのだが,受任事件において古い判決が提出され,それで裁判官の名前が分かって一挙に進んだのだ。
気仙沼に赴任した裁判官は以下のとおり。
重複・空白期間があるが,理由は不明。
(これ以前は不明。昭和32年2月14日判決労働関係民事裁判例集8巻1号129頁に「気仙沼支部裁判官 畠山郁朗」とあるが,高輪期以前の人なのだろうか。)
① 柳澤千昭(5期。s38.4-s40.3)
② 竪山眞一(8期。s40.4-s42.3)
③ 横田安弘(11期。s42.6-s44.8)
④ 柴田保幸(13期。s44.4-s46.3)
⑤ 石井義明(13期。s46.4-s48.3)
⑥ 笠井昇 (16期。s48.4-s50.3)
⑦ 赤塚信雄(19期。s50.4-s52.3)
⑧ 清水信雄(22期。s52.4-s54.3)
⑨ 羽渕清司(22期。s54.4-s57.3)
⑩ 須藤浩克(21期。s57.4-s60.3)
⑪ 原田卓 (29期。s60.4-s63.3)
⑫ 片瀬敏寿(31期。s63.4-H3.3)
⑬ 夏井高人(35期。H3.4-H6.3)
⑭ 今井攻 (37期。H6.4-H9.3)
⑮ 加藤学 (41期。H9.4-H12.3)
⑯ 畑山靖 (43期。H12.4-H15.3)
⑰ 森鍵一 (49期。H15.4-H18.3)
⑱ 板野俊哉(50期。H18.4-H21.3)
⑲ 西村康夫(53期。H21.4-H24.3)
⑳ 一原友彦(55期。H24.4-H27.3)
㉑ 下和弘 (57期。H27.4-)
昭和ー平成初期までについて,地方司法史として,なんとか冊子くらいにまとめたいものだと妄想したりする。
聴取りを中心に。
そうすると,横田さんは先日初めてご連絡したところ,81歳とのことで,あまりのんびりしていられない気もする(失礼)。
弁護士側としては,昭和22年から昭和46年まで活動された,
及川憲一郎のご子息・及川憲夫(現公証人@神奈川県溝ノ口)さんからの聴取りを欠かすことはできないだろう。
書記官経験者で,近隣にいる方もいる。
長年,調停員として携わっている方もいる。
しかし,当地の小笠原弁護士(14期)は,昭和42年以来,ずっと活動されていて,こう振り返るとすごいね,,,
サンマ初水揚げ・気仙沼
今朝,気仙沼港で,今季初のサンマの水揚げがあったそうだ。
私が家庭の食卓で一番好きなのは,もう少し寒い季節(10月初旬か)に,
・ 秋刀魚の塩焼き
・ 秋刀魚の刺身
・ おでん
・ 秋刀魚のつみれ汁
などを並べ,最初は少しだけビール,あとは熱燗で過ごす,というものだ。
上記メニューだと,おでんだけでもよさそうだが,焼き物として秋刀魚の塩焼きくらい並べてもいいだろうし,それなら,刺身も少々,,,ということで,ちょっと豪華なメニューを思い至った次第。
秋刀魚の刺身を食べる度,初めて気仙沼に来た際,O先生がご馳走してくれたことを思い出す。
青魚で,こんな旨い刺身があるのかと,本当にびっくりした。
(当時は,関西では,ちょっとした料理屋がようやく秋刀魚の刺身を出すことがある,という状況だった。それとて,全く大した味ではない。)
以降,あの秋刀魚の脂のうまさに惹かれ,ことあるごとに注文しているのだが(秋刀魚の刺身は,上記に反するが,スーパーのパックでは美味しくない。上記も味を見る程度でいいのだ。),年々,あの最初の感動から遠ざかっている。
旨いものは食べ付けるとすぐ慣れて,美味しいかどうかが分からなくなってくるのだ。
が,舌は恐ろしいもので,不味いものを食べると,途端に不味いということだけはよく分かる(笑)。
今年は,大いに秋刀魚を食べてやろうと思う。
「弁護士業務にまつわる税法の落とし穴」読了
先日,全国倒産ネットの講演で,桶谷和人さん(同期・兼公認会計士)のレジュメに,第3章「粉飾決算はこうして見破れ」を読めとあるので購入した。
当然,当該章のみを読むつもりだったのだが,他の章も読んで,読みやすさ・面白さで一挙に通読してしまった。
第1章・所得税,第2章・譲渡所得税,第4章・相続事件,第5章・破産管財と税務等々,
弁護士を12年しているが,自分の実務に,ぽっかり空白地があることを思い知らされた次第。
(もちろん,各事件において必要な税務上の処理・検討もしてきましたが)
以下,特に面白かったところより。
「最近,最高裁も納税者を勝訴させる。そのようにお考えの方もいると思いますが,最高裁が納税者を勝たせる事件には顕著な特徴があります。つまり,二度と発生しない事件に限って納税者を勝訴させているのです。貸倒引当金が問題になった日本勧業銀行事件,増資が問題になった旺文社事件,非居住者か否かが問われた武富士贈与税事件。全て,税法改正等のため,二度と発生しない事件ばかりです。
もし,二度三度と発生する事件,つまり,一般的な事件で納税者を勝訴させたら,税務行政を変更してしまうことになります。そのような怖いことは,最高裁も,おいそれとは宣言できません。しかし,二度と発生しない事件で,それが高額な事件であって,社会の注目を集める事件であれば,最高裁にとっては,まさに,裁判制度をアピールするために利用できます。
私達,一般の弁護士のところに持ち込まれる事件は,その事件が特殊に思えたとしても,税法理論一般からすれば,それこそ一般的な事件です。そのような事件では納税者は勝てません。
ということで,税法というのは税務訴訟のための知恵ではなくて,民事訴訟のための知恵だと思っています。」
(関根稔〔弁護士・公認会計士・税理士〕・弁護士業務にまつわる税法の落とし穴)
紛争寸鉄
・ 裁判は長い時間がかかるのだろうか。我々の交渉・紛争に対するストレス耐性が弱いことの言い換え,という側面はないか。
・ 相手方の言い分のとおりにしたい,と「相談」に来る人が少なくない。相手方の言い分のとおりことを納めて紛争・交渉という状況から離れたいし,そのように離れたことも弁護士のお墨付きであって,あとでもっとこうすればよかったのでは,という後悔も避けたいのであろう。
・ 意外な判決がある。そんな法律構成ないだろう,勝てるはずがない,と思っていて,事実,一審・二審と負けが続くが,最高裁で突然,勝ったりする。世の法律家は,意外に思ったり,最初から分かっていたような顔をする。が,しばらくすると,皆当たり前のような認識になり,その法理を前提として実務は進む。
・ 交渉・訴訟というのは,やはり,やってみないと分からないところがある。当方・相手方・関係者の思惑,情報量,健康状態,資金状況,ストレス耐性,社会情勢,判例の動向その他,裁判官も同じ。目の前の裁判官が絶対と思ってはならないことに多言を要すまい。
・ そもそも,弁護士も分かったような顔をしているが,意外に,判例も主たる実務も存しない,日常的な紛争はある。
・ が,相談者は,相手方の言い分のとおりにしたい,と言う。じっくり話しを聞いて,当方で可能な言い分を示し,その場では納得した様子で委任契約書を締結する。が,私も直ちに受任通知を送ることはしない。翌日,やっぱり委任したくないという電話がかかってくるだろうから。彼は,相手ともぶつかりたくないし,後悔して過去の自分とぶつかるのも嫌だし,相談を聞いた弁護士が進める委任契約を面前で断って弁護士とぶつかるのも嫌なのだ。そうなのか。
・ このように書くと,なんだか彼が,自分の権利実現に熱心ではないようだが,実は,そういうことではない。彼にも彼の生活・生活態度があり,果たして弁護士が言う,自己の権利主張を基調にする交渉・訴訟は彼のためになるものなのか。本当にそうなのだろうか。そう彼が思えなかったことは事実ではなかろうか。
・ 弁護士こそ,可能な限りの法律構成をして権利主張をすることで,後日の後悔から免責され,言い分を尽くすことで,結果がダメでも裁判所のせいにすることでストレスから逃げているのではないか。ストレスを抱え込んで,でも相手の言い分を丸呑みにして,なお生活を続けることにした彼の心情・状況をなお考えよ。