三陸ラビリンス気仙沼(弁護士東忠宏)

気仙沼の弁護士東が,弁護士活動において考えたことなどを書いています。毎週日曜日に更新記事をアップするのを、目標とします。

日弁連e-ラーニングのことなど

まとまった勉強をしたいものだと思いつつ,日々の業務に忙殺され,あるいは,正直に言うと,教科書を手に取ってみても,ただ読むだけでは頭に入ってこない。

実務家は,抱えている具体的事件との関係で,必要に迫られないと頭が働かないのだ。

 

このような,抽象的な勉強の欲求は,断片的な知識や経験・しかしその部分部分はいやに詳細で,そうだからせっかく習得しても再び活用する場面がない(少なくとも表面的な範囲では)ことが年々集積されていくこと,

それらを統合したという欲求に基づくものだろう。

 

(私は,落語などでも,これらを統合するストーリー,一八とか旦那とかの関係や経緯を全て述べた全体的ストーリーみたいなものがあるのでは,と結構思ったりしていた。)

 

で,荒井哲朗先生の債権回収講義に魅了されて以来,上記勉強欲求を果たしているつもりになるため,ひたすら日弁連e-ラーニングを聞いている。

6月以来,既に120超を聞いていて,残り106件だ。

目標として,外国法・外国語以外の講義を全部聴いてやるのだ。それが残り106だ。

 

これまで体系的に勉強したことがないところで,目から鱗,思いっきり勘違いしていたな,と気づくところが幾つもあった。

また,23条照会の実務などは,思い切り見直すことができた。

あるいは,DVとかセクハラで,理論・研究状況の紹介で,教養としても大いに感心した。

 

各分野の,講師をするくらいの弁護士がどういう方かを知ることもできるのも大きい。

 

この点で,思ったところを書き付けておく。

 

私は,ダスキン事件の弁護団をしながらも,企業の世間に対する謝罪,といった風潮・事例について,かなり疑問を持っていた。

(科学的・法的に真にダメージを消費者に与えているのか,そうだとしてもなぜ記者会見という「世間」を想定した行動をするのか等)

その当たりの折り合いを,もちろん,第一人者である弁護士は,自分なりに整合して異議を主張されていて,感心したり,まあそうだろうなと思ったり。

 

 

セクハラに対しての,あれは合意だったとか,恋愛だったとか,いや現場で嫌とか言われなかった云々。

講義では,たとえ対等に見える研究者同士の恋愛であっても,女性側が研究から身を引いて支える実情,組織としても交際している男女を同じプロジェクトに置きにくく離しがち(そして女性を動かす),すると恋愛の破綻は,単なる自由恋愛の失敗として済ませていい問題なのだろうか?女性に負担が大きすぎないか?とも言う。

また,(私の理解だが)教師と生徒の結婚なんてよくあるが,それが破綻したとして,後日,そもそもの交際期間から支配/抑圧の関係だったと主張することも認められるのだろう。

生涯に亘って,幸せな結婚生活を続ければよいのだが,そうではないときに,被害救済を主張することは許されるのだ。

そうすると,セクハラとは,過渡期における被害者救済の理論なのではないかな。

この過渡期とは,理想社会の到来,それは,現場でノーといえ,ノーと言っても一切の報復はなく,恋愛関係の維持は仕事に何の影響もなく,もちろん破綻しても生活に困窮したりしない,そんな社会だ。

そういう社会が理想だとして。

 

代理人性と当事者性のはざま

ある弁護士さんが,「最近の若手弁護士は,すぐ『依頼者がこう言っている』と言う。弁護士の存在意義をどのように考えているのか。」などと愚痴とも怒りともつかぬ投稿をされていた。

 

以前にも書いたかも知れないが,私は,この種の若手弁護士発言は,そういう趣旨(弁護士の存在意義を忘れて,依頼者の言い分をただ出しているだけ)ではないと思う。

 

私に言わせれば,彼らは,自分が間違う・間違いと評価されるのが怖いのだ。

 

代理人たるもの,主張が相当に依頼者ベースだったとしても,それは法的裏付けがある代理人としての見解でもある,と堂々主張すべきだ。

そうなれるように検討しなければならない。

それを,裁判所・相手方代理人がお分かりのように,私もこの依頼者の言い分はおかしいとは分かっているのですが,仕事でやむなく依頼者の言い分を述べなければならないんです,はい,私は不正解だと分かっています,私は法律のことは分かっていてバカではないんです,なんてどういうことか。

立ち位置がおかしい。

そういう馬鹿にされることも含めての,主張の設定なり,費用の収受ではないか。

 

この辺りを突き詰めると,結局,自信がないのだな。

関係者からどう思われようが,自分はしっかりした仕事をしているから平気だ,という経験を積まないと上記のような感じになってしまうかも知れない。自戒を込めて。

 

でも,法廷で,自分(代理人自身)が馬鹿にされないように,依頼者じゃなくて自分を守るのはかっこわるいぞ。

 

そういう点で,私は,負け裁判を堂々受けて依頼者側の論理を自己の論理として,堂々貫き通す弁護士は好きだ。

もちろん,それをしつつ,最後は現実的な調整でまとめて撤退するのなら,申し分ない。

(が,私は近時,何でもまとめればいいとは思っていない。司法の判断は司法の判断として,一民間の組織・個人であっても,自分の見解を言い続けることがもっと認められてもでいいのでは,と思っている。)

百人一首のこと,高校生以前のこと

二男(幼稚園・年長)のお友達と,年末にも百人一首をしようということになった。

この子は全て完全に覚えているらしい。

私も昔取った杵柄,高校一年生の冬休みに全部覚えて,年明けの校内大会では,10人1グループでやって一人で50枚超を取って学年一だと表彰されたんだぞ。

,,,と思って見直すが,はっきり覚えているのは30首程度のようだ。

決戦に向けて,長距離運転の度,歌を詠むことを繰り返す。

 

この詠歌でようやく思い出したことがある。

 

私は,高校入学時,最初の実力試験で379/400位だった。

(あまりにもすごいので,覚えている。)

それも,進学校とかではなくて,総合選抜制度下の明石の公立高校のことだから,客観的に見て,到底,国公立大学に進学したり,いわんや旧司法試験を受験するはずもない階層だっただろう。

それが,どうにか大学と名の付くものに進学する・勉強に力を入れ出すきっかけは,これまで,高校一年生の3学期の期末試験に,異様な意欲を持って取り組み(テスト当日,朝3時に起床して試験範囲の全ての問題を解き直したりしていた),19/400位に至った出来事があったからだ,と思っていた。

それでもって,自分は勉強に取り組めばできると思い込み,まず頑張るようになったのだと。

 

が,今,百人一首を詠んでみて,上記のような出来事も大事なのだが,その前触れみたいなもの・過程を思い出した。

 

どうやら,あの(通常の学力という意味で)無意味な百人一首の暗記こそ,冬休みにむやみに暗誦したことこそが,私の勉学の基本方針,その確立だったようなのだ。

他の人がそこそこにするところに,無意味に時間をつぎ込んで無理に打ち勝つ・自分なりに心行くまで勉強したら自然,平均を大きく上回れる,といったような。

例えば,私は高校3年生に至って,世界史の年号を400個も暗記する,ということをしていた。

世界史はセンター試験しか使わないのに,それでも,そのような労力を投入するのが格好いいと信じていたのだ。

(斎木先生が,定期テストで年号だけで50点の配点をした際,ほとんど全部答えられて,やったと思ったら,あんなに答えてどうするんだと言われた。)

司法試験でも,要領のいい勉強なんて耳を貸さず,それこそ時間投入で打ち勝ったようなものだ。

で,実務に至った今でも,新しい問題に出会う度,むやみに関連書籍を買い集め,国会図書館で資料をコピーさせ,専門図書館に行ったり,また第三者に押しかけて話しを聞いたり,しつこくしつこく時間を投入している。

 

さて,では,私はなぜ,高校一年生の冬休み,あれほど百人一首の暗記に情熱を注いだのか。

今となっては記憶がかなり曖昧だが,中学1年生か2年生のころ,やはり百人一首の大会があって,そこで,同級生が百人一首を沢山覚えていてむやみに札を取る,その無意味な記憶の情熱に,なにか心打たれるところがあったからだ,と思う。

百人一首は試験の課題でもあったから,学力という意味でも無意味ではないのだが,私はそんなことより,暗記にとんでもない労力を投入しているところがかっこよく思えた。)

 

こうして書くと,既に四半世紀前のことでも,少しずつ思い出す。

上記の中学生の際の百人一首,私に暗記の凄さを見せたのは,一人はMくん,もう一人はKさんだったと思う。

Mくんは,中学卒業以来,一度も会っていない。この人は男前だし,頭も良かったので,いずれ世に出るひとだと思っていたが,さっぱり聞かない。

Kさんなど,有名大学に進学したし,必ず世に知れる人になると思っていたのだが,やはり聞かない。

 

ついでに書き付けておくと,高校で感心していたのは,(別の)Mくんである。

この人は,恐らく成績は,我々文系の中で常にトップだったろうし,ピアノを習っていて,読書感想文を書かせても全国的な賞を取っていた。

センター試験前日の授業でも,予習をしてきていたので,(全く及ばずながら)密かにライバルだと思っていた私など,こりゃ敵わないよ,と引っ繰り返ったものだ。

このMくんは,既に東北の某国立大学の助教授の職にある。

大学院生の進路問題が言われるなか,やっぱり大したものだ。

 

小学生では,Iくんの態度が立派だと思っていた。

この人は,優等生的で,それだけにその言動がからかわれたり,嫌われたりもするのだが,そんなことで引っ込まず,堂々と正論を言うのだ。

今になっても,Iくんは偉いと思っているし,彼がその後,どのような人生を送っているのか,ぜひに知りたいものだ。

彼は中途で転校したようにも思う。

最高裁大法廷弁論傍聴備忘

待婚期間・夫婦別姓の両訴訟について,11/4,いずれの最高裁大法廷弁論も傍聴することができた。

以下は,将来傍聴する方に向けての備忘。

 

1 傍聴券について,その配布方法は直前に決まる。

裁判所に電話して聞くこと。

なお,今回は,待婚期間は抽選なし・夫婦別姓は抽選であった。

で,弁論が11:00~ならば,10:00までに並んだ人に整理券が配られ,それが席数(150余。上告人のために確保されるべき席数にもよるだろうが。)以内なら抽選なし,

席数を上回っていれば抽選となる。

抽選は裁判所が行う(整理券記載の番号のうち,当たった番号を張り出す。)

上告人本人は,発言しない人は傍聴席へ(確保されている。)

 

注意点は,例え席数が余っても,その時間までに並ばなければ入れないこと。

 

2 貴重品・筆記具以外はロッカーに預ける。

携帯電話も切って預ける。

 

3 中途退廷は可だが,再入場不可。

 

4 事件番号の読み上げ,代理人出頭の報告など,やや大時代的。

撮影・起立について説明など。

 

5 代理人専用の控え室あり。代理人は,傍聴席が埋まってから,最後にぎりぎりに入った方が格好が付くようだ。

 

子ども時代の追体験

子供らの行事とて,幼稚園や小学校に行くたび,

私が子ども時代に経験したことは,こういうことだったのだ(こういうことだったのか),

当時の父母は,このような思いだったのだろうか

と思うことしきり。

 

そして,ようやく気づいたのだが,下の子の行事に,兄・姉たちも卒園した幼稚園に付きそう。

それにより,彼・彼女も,その年相応に,いろんなことを思い起こすのだろう。

同じく兄弟のためにやって来た同窓生や幼稚園の先生方に会う度に。

 

そう思うと,一番下の子って可哀想な気もする。

自分が卒園したら,もう来ないものね。

来てもいいのだけれど。連れて行こうかしら。

成年被後見人の意思の尊重とは

現代に生まれ変わったゴッホ成年後見人に就いた,とする。

 

彼は,乏しい障害者年金の大半を,キャンバス・油絵の具に用いて,日々の食費にもこと欠くさまである。

あげくに売春婦を家に呼び寄せたり,人前で大声を出して暴れるなどする町の厄介者で,社会福祉協議会を通じて市長申立てとなって,私が成年後見人になったのである。

 

彼の絵画が売れたことは一回もないし,(今生では)正規の美術教育すら受けていないので,まともな評価がされるはずがない。

展覧会に出せるレベルですらない,と看做されているのだ。

 

今生の彼の絵画が評価されるのは,彼も,私も,私の家族も皆死に絶えてから50年後のことである。

 

その彼の絵画は,22世紀の絵画の方向性を決定づけるとてつもないものであった。

そして,彼の伝記には,

「中年までは飲食を忘れて精力的に絵画を描いたが,それ以降,当時の法制度である成年後見人の就任により,収入を食費・治療費などバランスよく使うよう執拗な指導がなされ,資材が購入できなくなり絵画を描くことは殆どできなくなった。

21世紀の,個人の情熱を尊重しない法制度の犠牲になったと言えよう。

後世に,彼の中年以降の作品が殆ど全く存しないのは人類の損失である。」として,

この芸術に理解のない・時代への先覚性を欠く哀れな歴史の敗北者である成年後見人の実名が,怒りと共に書かれている。

この弁護士の子孫らは,50年以上前に亡くなった曾祖父の頭の固さを軽蔑し,そのような者の子孫であることを恥じている。

 

さて,私は,当時の裁判所の監督の下,収支を管理するという後見人として当然の仕事をしたまでだから,

誰しも安定的な生活・心情で生活したいのが本意のはずだから,

一見,芸術的衝動に身を焦がすゴッホの転生者も,実は自己の情熱に疲れ気味であり,天才に自分自身を夜ごと貫かれることにしんどい気持ちもあったのだから,

死後にボロクソに言われても,何も気にしなくていいのだろうか。

 

これは,絵画を描くという,お行儀のいい話しである。

しかしもっと言えば,被後見人が,深夜に踊り狂ったり,行きずりの異性と交渉を持ったり,群婚を主張してグループで生活したりする,

そして,100年後,そのようなライフスタイルが一定の支持を集め,振り返れば,100年前からの民衆の草の根運動が,そのようなライフスタイルの定着を後押ししたのであり,抑制者としての当時の「社会の良識」(精神病とされた者には公権力が様々な名目の介入者を付けて,社会の良識の範囲で生活するよう強要した)が存した,と描かれることもあろう。

 

じゃ,あらゆる社会への異議申立て・表現活動は,未来社会がどうなるか分からない・どう評価されるか分からない以上,後見人は立ち入るべきではないのか。

我々は現代社会に生きている,しかし,未来を見据えない人間の活動には理想はない。

 

ことに,天才というのは,ある種の過剰に生きる者(と私は思っている。)だから,なおのこと難しい。

私が少年事件をあまり好きではないのは,結局,過剰な者を鋳型にはめ込む活動に見えてしまうのだよな。

 

この話,しばらくしたら続けます。

 

 

 

 

ふと気づいたことなど

長男の様子を見て,自身を振り返ること。

 

私は,小学生から高校生にかけて,

「周囲には,年上の人たちにチヤホヤされる人もいるのに,私だけなんとなく阻害されている感じがする。」

と感じながら過ごしていたものだった。

私なりには普通に過ごしていたので,不公平に思う気味もあった。

 

先日,珍しく長男の剣道の練習を見た。

この長男というのは,小4だが,ほとんど私そのものというくらいそっくりである。

 

で,長男の様子を見て,つくづく,私の上記疑問が氷解した。

 

長男の,けだるそうな,ドテッとした感じ,はつらつとした・敏捷なものが何も感じられない様子。

それが,反対に,生意気そうだとか,反抗の気味があっていいとか,そういう感じですらない。

 

私もあんな感じで,だから,年上の方々から全く好かれもしなかったのだろう。

 

いやはや,息子よ,先は長い。

 

私は司法修習生になって,また弁護士になって驚いたのが,

「東くんは礼儀正しい」とえらく先輩方褒めて下すって,

多くの先輩方があれやこれやと教えてくれたことだ。

そう,そんなドテッとした私でも,私ですらも,法曹ではまだマシな方で,何と!可愛げがあって見えたのだろう。

 

 

 

もう1話。

 

市内の寿司屋で,満足するまで食べて飲み,支払って店を出る。

駐車場に出て,連れ合いの車の準備を待っている。

すると,店の大将も出てきて,タバコを吹かす。

私も大将の側に行って,ちょっと雑談したりなどする。

 

満足した私と,それを提供した大将が煙草を吸いながら,すこし歓談。

 

これって,なにかに似ている感じがする。