今の世があるのは彼らの犠牲のお陰,についての一考
「フランス革命があるから,現在のフランス-基本的人権保障ほかーがある。」という命題がある,とする。
そうすると,バスティーユの牢獄を襲撃した一団に加わったものの,王の兵隊の狙撃に散った人物について(そのような局地攻防戦を経たからこそ革命が成就したのであって),尊い犠牲の上で現在のフランスがある,というところの犠牲の一内容に加えられることは理解しやすい。
あるいは,本来は革命派だったのに,政治的立ち振る舞いでうっかりしたために,揚げ足を取られてギロチン台の露と消えた人物だって,当時は反革命の元に処刑されたのかも知れないが,後世から見て,まぁ革命の推進力の一人であった・そのような勢力内の混乱も含めての革命である,と見て,それも今日のフランスを成り立たせた犠牲者の一人である,と考えてもいいだろう。
じゃあ,この革命を阻止すべく,王の下で忠実に働いた将軍なり,無名の兵隊の死を,どう捉えるべきか。
まぁ,私などは,レトリックとして,彼のような人たちも,今日のフランスがあるための犠牲者と表現してもよいとは思う。
なんとなれば,大前提として,彼が王・革命派のいずれについたのかは,たまたまの出生・その他偶然に過ぎない要素もあるだろうし,
そのような(革命側から見れば)啓蒙されていないがための体制派を屠ることによってこそ,革命は成功したと言ってもいいだろうし,
後世から見て,歴史の転換は多大な血を欲し,それに居合わせたのが彼らだ,と言って上げるのがせめてもの救いのようにも思うのだ。
ただ,そんな修辞を認めたら,ともかく何でも,今の社会があるための犠牲者じゃないかと言われると,まぁそうなってしまうわな,と思う。