男性専用車両がない理由
たまに東京に行くと,電車なりエレベーターで,人と密着しなければならないことの連続で,まぁ大変不快である。
私のように田舎で暮らしていると,車社会であるから,見ず知らずの人ばかり押し込まれる空間など,日常,全く経験していないのだ。
パーソナルスペース浸食への耐性が違う。
で,現地調査等のために電車を乗り継ぐのだが,満員電車で側に女性がいると,何かあっても困ると離れるようにしている。
大阪時代,痴漢えん罪を主張した刑事事件の弁護をしたことがあり,かなり一生懸命したつもりだが,その際の勉強や経験では,結論的に,どうしようもなくなる見通しなのだ。
あの時は,それこそ,毎朝4時に起きて移動して,関西私鉄某路線の「犯行」時刻の電車に乗り込み,車内の様子をビデオ撮影すること3日連続とか,まぁ力は入ってた。
(某著名刑事弁護人曰く,周防正行「それでもボクはやってない」のおかげで,ともかく電車内の痴漢否認だけは,裁判所も批判を恐れて勾留却下が認められやすくなったそうだ。)
否認の場合の起訴率は,その当時よりは,まだマシになっているかも知れないが。
そうした不安を受けてだろう「男性専用車両」を求める声がある。
(「女性専用車両」があることへの対抗的・反発的な気持ちからの導入論もあるだろうが,ここでは痴漢えん罪被害を避けるためを主目的にした導入論への批評とする。)
もちろん,気持ちは分かる。
日常の通勤で,ある日,その後の人生が暗転する出来事に巻き込まれたら,,,と思うと恐怖感すら覚えるだろう(私も,東京の電車で,チラッとそんなことを思ったりする。)。
でも,痴漢えん罪被害を避けるための「男性専用車両」なんて導入されるはずがない。
1 鉄道各社が,「痴漢えん罪」なる警察・検察への不信・批判を前提にした公共サービスを提供することを,社会に示せるはずないこと。
警察・検察は,真犯人を確実に捕まえるはずであり,その誤りを恐れて,集団で避難するスペースなど作るのは,警察・検察への挑戦行為と受取られるだろう(と,鉄道各社は思うだろう。)。
(警察・検察は,彼らの論理では,「痴漢えん罪」など存せず,それは,裁判所の被告人への軽信とか,たまたまの証拠不足とか,被害者の動揺によって証言がうまくできなかったことによる無罪があるに過ぎないと考えるしかないだろう。あるいは,被害者が積極的に嘘を言っていたとしても,それは当該「被害者」が悪い・見抜かない裁判所や無力な弁護人も共犯であって,警察・検察による冤罪ではないと思っているだろう。)
2 導入後,諸外国の方に尋ねられたら,まさか,痴漢えん罪被害を避けるために,このような男性専用車両が存するのだ,我々国民は,司法を信用していないのだ,それを受けて鉄道各社は導入したのだ,などとは言えないだろう。
その説明には,人質司法とか,推定無罪の現状とか,逮捕・起訴と解雇とかも触れなくてはならなくなる。
どうやら,男性専用車両は,冤罪被害という体制側からすれば存在しないはずの被害を前提にする・そのような被害への批評となるもので,認められないのだ。
(痴漢えん罪無罪が年に数件出るくらいなら,突発的事故であって,見過ごすこともできるが,毎日の電車に,痴漢えん罪を前提にしたシステムがあることは認められない。)
(しばらく前にFBに投稿した短文を大幅に加筆した。)
補足:「痴漢えん罪保険」なるものも,予め司法への不信を一前提にしている。
ここでは,鉄道各社が,自社のサービスによって,冤罪を作り出す一因となることを積極的に認めることはできないことの相違と理解したらどうか。
大道寺将司さんと菅家さん
「もう一人の隣人は北関東のほうで幼女を連れ出して殺した容疑で、一・二審とも無期刑の判決を受けた人。新聞報道によると、彼は冤罪を訴えているようです。でも、ぼくは彼の事件については詳細を知りません。ですから、彼が実際に幼女を殺したのか,冤罪なのか,判断する材料もありません。ただ、近くで接していると、警察官や検察官から、「おまえが殺したんだろう」と決めつけられたら、彼が反論などできない人であることはわかります。気が小さくて、自己主張するような人ではないからです。以前、ぼくは彼をかなりの難聴者だと思ったことがあります。というのは、看守や雑役囚が彼に話しかける時、一度では済まず、必ず二度三度、同じことを繰り返すからです。しかし、一度言っただけでは彼にはなかなか通じない、つまり彼が理解するのに時間がかかるからだということがわかりました。弁護人と意思疎通ができているのか疑わしいくらいですが、冤罪ならしっかりと闘ってほしいと思います。」
(一九九六年十月三一日)
「死刑確定中 大道寺将司」を再読して発見。
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この年末年始に読んで,大変感心しました。
多分,この数年来の読書の中で,一番くらいに胸打たれたと思います。
この数年というと,丸谷・山口ばかり読みふけり,近時は池波も読んだりと,そんな中での話しです。
私がずっと抱えていて,友達やイソ弁にしつこく話して辟易されていたであろう,
1 西洋は世界を制したところ,それがたまたま人権思想を持っていたと考えるべきなのか,あるいは,人権思想を持っていたからこそ,世界を制したと考えてよいのか
(→近代戦争の戦闘員には基本的教育が前提で,また,近代的兵器を均一な質で大量に作る必要がある。それらの前提には,大量消費社会〔が前提とする社会の構成員や社会システム〕が必要で,そのためには共同体を破棄して,国民国家を作る必要があって,,,)
2 1に関し,ヨーロッパの側にたまたまアメリカ大陸があったから,新市場や奴隷でもって産業が発達したのか。
中国とすれば,たまたま側にオーストラリアがなかったせいで,主権国家とか国境線とかいう西洋のルールを押し付けられているのか。
などということについて,(もちろん,私のような愚問が立てられているわけではありませんが)それへの答えとなる見事な論述があります。
などと書くと,私が法律家としての素養に全く欠ける物の考え方をしているようですが。
(注:上記のような問題設定が書かれているのではありません。人権なんて一言も触れた本ではないのです。あくまで,本に書いてあることを敷衍すると,私なりの疑問の答えに繋がる,ということです。)
私は,ブームになる以前の内田樹さんの本が好きで,そこで初めて「互酬」という概念の重要さを知りましたが,それの位置づけがよく分かっていませんでした。
それが,また「周辺」とかを大学の夏期集中講座で聴いたことを,どうやら思い出し,ああ,そういう議論であったのかと,今さらながら思いました。
まぁ,哲学というのは,なんでも後付けで説明するためのものですが,この本を踏まえると,市場と国家の関係とか,民主主義・主権の関係とか,なにやら世の中の議論(議論する意義が)が全く虚しくなるような気にもなります。
父の不在・父の否認
今朝は,少し雪が降るなか,子供らと公園へ。
1時間少し,サッカーをして走り回る。
公園は最初,我々親子だけだったのだが,しばらくして近所の子も来て,サッカーに入れてくれと言う(もちろん入ってもらう。)。
私は,子供らに話すとき,なぜか,
・ 俺(私ね)は,タダヒロの双子のダダビロだ,普段は東京で刑事をやっている,今日は本物のタダヒロは俺の東京の家に行っているのだ,
・ お前達の本当の父親は,お前達がごく小さいときに事故で死んだ,俺(ダダビロとはまた違うやつ)は偽の父である,
・ 俺の右手は事故で失われていて,これは精巧な義手である,
・ と言うか,実は俺は人間ではなくてロボットである,
・ 妻との出会いを翻案したのが,あの「シンデレラ」である,
・ 高校生のころ,明石市の乗っ取りを企む,なぞなぞ魔王「ナゾー」にただ一人戦いを挑み,決死のなぞなぞ勝負でどうにか地域を救った(このストーリーは,寝室で不定期に語り継がれている。長すぎて,話しが始まって3年は経つのに,まだ自宅から魔王の城に向かう中途である。),
などという,訳の分からない話を思いつきでしてしまい,
子供らが前の話との矛盾を突く度,いや,実はこういう理由で齟齬はないんだと,また話しをでっち上げる,ということを続けている。
ただ,こうして初めて書きだしてみると,私が子供らに言いたいのは,
どうも「俺は,お前達の父親ではない」ということのようだ。
要は,父親の責任を放擲したいということなのか。あるいは,同じように遊び騒ぎたいということなのか。
振り返ると,物心ついてから,私自身が父親とサッカーでも何でも,遊んだ記憶ってないな。
まぁ,子どもだけで連れ立って遊べた環境と,当地では親が車に乗せて連れ出さなければならないので,だいぶ状況が違うが。
受任の幅と弁護士の姿勢
よくイソ弁らに言っていることだが,,,
どう法的に整理したものか,よくは分からないが,ともかく不当な目に遭っているということ・何らかの請求をしてしかるべきだ,という相談者が来る。
よく分からないというのは,相談者の表現力の問題もあるし,相談者が関わりないところの事実関係が把握できないためなのかも知れない。
ともかく,聞いている当方(弁護士)としては,よくは分からないが,自分達が対処する領域に属する問題のようだ。
で,どうするか。受任するのか。
ここで,当該依頼者が,まず付き合っていけそうな方であれば,よくは分からないけれど,事件を進める中でなんとかなるだろうと,受任することになる。
反対に,手続の見通しとか,金銭回収に細かく意見を言うような人なら,ちょっと受任しにくいだろう。
で,この種の,当初は見通しがよく分からない事件が,徐々に分かってきて,意外な成果を挙げたりする。
あるいは,私の場合だが,依頼者が事実関係を把握していな類型で,弁護士の調査だけが頼り,という事案の方が,むしろ地力を発揮したりもする。
そうすると,ある程度専門家任せ,という人の方が,結果として権利救済に繋がる,
むしろ口うるさく権利主張をする人の方が,弁護士が敬遠して,その実現に繋がらない,
というパラドックスが起きそうである。
ここで,以上の依頼者の態度・発想からの選別的発想を逆転させ,弁護士側の姿勢を問題にしてみる。
経験を積み,いろんなタイプの人を依頼者としてきた弁護士がいる。
最初,よく分からなくても,徐々に事実関係を把握し,問題点に突き当たれば,その都度,依頼者に説明して適切な方向転換をする。
また,そのように適切な方向転換の協議ができることに自信がある。
あるいは,依頼者をコントロールすることにこだわらない。
そうすると,自然,口うるさい人,独自の考えを貫こうとする人,あるいはお任せ過ぎて連絡対応してくれない人,そういう人も受けることができる。
上記の見方の反対で,当該弁護士こそ,受任して対応できる幅が広ければ広いほど,当然,権利救済の幅が広がる。
様々な依頼者と適切な関係を結ぶことを,平素続けていれば,自然,地域の権利救済に資することができる。
平成27年から始まったことなど
今年から初めてよかったことを,紹介します。
1 長距離運転で,ドライビング用の手袋をすること
これだけでも,案外楽である。
私は全シーズン,指が出ているのを着用。
2 ついでに,スニーカーで運転すること
スーツでも,革靴は別途,載せて運ぶのだ。
この旅行先に,別の靴を持っていくの,かなりいいですよ。
えっ,とっくにそうしている?そうですよね,,,
3 シューキーパーも使う。
これそのものだったかは,覚えていないけれど,確かに靴にいい。
私は,マグナーニばかり履くのですが,外出用と事務所内用に分けてて,後者(2足)は多分4,5年経つのですが,部屋の中しか履いていないので,見た目は新品同然です。
外出用も,先日,靴底を張り替えたので,まだまだいけそう。
などと書くのは,この前,三越銀座店のシューズコーナーに行ったところ,なんだか,以前のようなマグナーニの品揃えではないように思え,かなりがっかりしたからです。
当たり前のデザインと,狙ったようなものが,うまくラインナップされていたはずなのですが,何か,おかしな感じになっていると思います。
当面は買い換えないとしても,買い換えるころ,果たして私が思っているような靴があるのかどうか,,,
4 百人一首の暗誦
丸谷が,天皇が恋の歌を詠むのが日本の文化の伝統(根幹)で,それを禁じた明治政府は徳川幕府もしなかった暴挙と書いていました。
私も,高校生のころは,「奥山に,,,」とか,「,,,ふりゆくものは我が身なりけり」,「,,,墨染めの袖」とか,風景とか,禅味みたいなもの(と私は受取っていた)があるのは,どうにかいい歌だと思ったが,それだけだった。
今にして,「難波江の葦の仮寝の,,,」とか,「玉の緒よ,,,」とか,それが,地位有る人々が実名で歌う,文化の面白さ・迫力が,徐々に分かってこようとしている。
せっかく覚えたので,ちょこちょこ見直して,暗記から漏れないようにしています。
半分冗談・半分本気で書くのだけれど,
世の人が,しかるべき地位に就いたり,問題を解決したり,退任したり,あるいは亡くなる際,いちいち短歌を詠む・それが逐一批評される,という文化があれば,大変だけれどもよかったかもね。
5 日弁連e-ラーニング視聴
既に135件を視聴。
外国法・外国語を除き,残すところ105件だ。
これで学んだことは,相当大きかったなー。
23条照会ほか,取り組み方がかなり変わった分野もあるし,この講義で刺激を受けて取り組んだ事案すらある。
6 家族でのキャンプ
これもよし。どれも,楽しい思い出で,また暖かくなって,再開できるのが待ち遠しい。
また,お勧めのキャンプ場など紹介しますね。
皆で室根山に登ったりもした。
7 ダイエット
ちょっと停滞気味だけれど,来年も引き続き。
その他,ギターを買ったもののあまり進まなかったり,池波の小説の面白さに開眼したり,柄谷行人に感心したり,などなど,
今年は,わりに充実して,いろんなことが身についたように思う
(番外・仕事編)
仕事上のこととして
1 官報検索サービスの開始
定期的に調べるようにするのも,なかなかおもしろいですね,,,
2 気仙沼支部・簡裁の事件番号チェック
を,詳細に整理するようになりました。これも役に立ちます。
情報提供はしませんけれど。