ニューオーリンズ滞在のことなど
8月10日に羽田空港を発ち,15日に帰ってくるまで,アメリカはルイジアナ州ニューオーリンズの義兄宅に滞在していました。
海外旅行はたまに行くのですが(今回は二年ぶり。前回はイタリアのミラノ),アメリカ本土に行くのは,この歳にして初めてでした。
まあ,私は現地に4泊しただけで(私以外の家族は,先行して早くから行っていた。),観光も大してするでなく(①ボウ・フィッシングという弓矢による漁とか,②拳銃やマシンガンを撃ったりとか,③フレンチ・クオーター巡りとか),
それ以外を過ごした義兄宅は,いわゆるゲーティッド・コミュニティ内にあるので,快適であり,まあそういうアメリカの一実情に考えさせられました。
まあ,私など,家にあるプールで騒いだり,大量の漫画を読んでいただけかも知れませんが。
堤未果「貧困大国アメリカ」をかつて読んで,私などへそ曲がりですから,『メジャーリーグの球場や,フットボール場にいる無数の観客は,あれは消滅したという中産階級ではないのか』と突っ込みを持っていたものの,義兄の解説によれば,あの大勢の観客らも,相応の収入に恵まれた階層だということで,アメリカのボリュームに驚き呆れたり。
食事は例によってボリュームふんだんなのですが,とても食べきれるものではなく(持ち帰るパックがよく普及している),また肉だけの一日一食とかなので,かえって痩せて帰って来られました。
高野隆「憲法的刑事弁護」の中で,ある刑事弁護で罪に問われた被告人について,初めて行く海外旅行の高揚感を記述した下りがあって,ちょっともう,そういう率直な感性は薄れつつあって,そりゃ自宅と事務所を往復していた方が,安定していて楽でいいのですが,
そのような狭い日常の世界の一方で,かくも広大な世界が同時に併存していることを思い知らされ,
なにより有り難いことに,成功者である義兄から,職種は違えど私の今・将来について考えていることについて,様々な示唆や直接的なアドバイスがもらえたと思います。
帰りは,日付けが帰ることを失念していて,東京から戻る新幹線の取り直しとか,東京で泊まるホテルなどでてんやわんやとなってしまいました。
ともあれ,子供らにとって,忘れられない少年(少女)期の思い出になったのではないでしょうか。フロリダにも連れて行ってもらったとのことですし。
さらば過払い
ふと気付いたら,先日,任意交渉で和解した,某社に対する過払金請求が手持ちの最後のものだったらしい。
もちろん,これからも受任する可能性はあるけれど,ともかく,過払い請求を全く抱えない状態というのは,恐らく事務所開設直後以来,すなわち10年ぶりであろう。
私はこの問題は,大阪時代,いや修習生時代から見ていて,また関わっていて,それこそ請求の本格化・一般化前から砂かぶり(というか直接だろうね)で栄枯盛衰を見てきたので,何やら感慨深い。
東北弁護士連合会の夏期研修で捜査弁護について講演をします
正式には「平成29年度東北地区夏期特別研修」だそうでして,その二日目・8月26日@仙台国際ホテル,10:00~です。
いやはや,まさか(経験も浅く,大した成果も挙げたことがない)私が刑事弁護について,弁護士の方々を相手に講演をするなんて,自分でも無茶苦茶な事態だとは分かっているのですが,この種のことって,頼まれるともう返事をするまで逃してくれないので,覚悟を決めました。
で,どうせならと思って,一生懸命準備しています。
他の方は知りませんが,私は各種講演をするとき,もちろん資料も集めますが,準備でやってみて面白いのが,インタビューをして廻って実際の取組み例とかの情報を集めることです。まあ,人のふんどしという気もしますが,なかなか勉強になります。
私も今回,若手ー中堅の方々を中心に聞いて廻る中で,民事・刑事を問わず,ああこう取り組んだらいいんだろうな,,,というのが見えてきて,おかげで仕事にだいぶプラスになったように思います。その分,講演にはかなり労力を投入していて,プレッシャーもあってフラフラですが。
なお,講演の内容は原則,あの「現代法律実務の諸問題」に掲載されるので,参加できない方の目に触れることがあるかも知れません。
6年前のこと,避難先へのお礼
たまにしか行かないものだから,自車と海の位置関係など分からず,結果,水没した車を捨てて避難するハメになった。
膝下までの水が流れる道路を歩いていたら,「こっちへ逃げろ!」と近隣のビルからの声。
おかげで,その会社の従業員さんらや他の避難者ともども,そのビルで一晩を過ごすことができた。
翌朝,同社の上役と思わしき方が,水が引いた道路を自転車でやって来て,持参された焼酎など少し飲んだ。
(災害時は,お酒やつまみが,すぐ食べられて,栄養価もあるし,便利なのです!)
この会社は,石巻のIT企業「株式会社ムーブ」という。
感謝の気持ちを込めて,記載しておく次第。
(いろいろ復旧で忙しくて,震災からほぼ1年後に,ようやくお礼に行くことができた。)
休日のことなど
これを書いている日は日曜日だが,我が家に,子どもの剣道の関係で,子供らやその保護者,また指導者の方々など軽く20名超が来られている。
女房は,昨日からおもてなしの準備とて,シフォンケーキを5つ!も焼いたり,プリンを作ったり。
まあ,私は,所在もないので,久々に夕方から寝込んでしまい(鹿島茂「レ・ミゼラブル106景」のおもしろさ!),サウナ(今年に入ってから週一で行っている)に行ってから,これを書いている。
皆さんが帰るころ,まあ戻ろうか。
私のおかしなこだわりの一つが,「飲食店・美容院などがくれるスタンプカード類を持たない・会員カードを作らない」である。
小銭入れしか持っていないので,その手のものを管理しにくいというのもあるのだが,
まあ平素行くお店なら,毎回,正規?の代金を払ってやれ・渡してやろう,というおかしな気持ちがある。
そんなものを作らなくても,そう浮気はしないので心配するな,という気かも知れぬ。
ただ,これが最初に買う回数券方式なら,買っておこうかとなるから我ながら不思議だ。
地方住まいの弁護士とその減量について
わーい,昨日,ついに体重72キロ台に達した!
(正確には「72.5」。私=身長181㎝の標準体重は72.03キロ)
足かけ2年に及んだ約22キロ減について,振り返る次第。
【経過】※②以下は,いずれも月末時点
(最初の減量期)当初4か月くらい
①H27年2月7日 93.8kgでスタート。
→②3月 89kgとなり,久々に90kgを割る。
→③6月 82kgとなり,ここまで月3kg減ペースであった。
(停滞期)続く4か月くらい
→④8月 86kgとなる。飲酒し続けの夏であった。
→⑤12末 86kgで年を終える。振り返ると,前半に減量したものの,7月以降は鳴かず飛ばずであった。
(増加期)続く半年くらい
→⑥H28年6月 89kgに至る。
(再挑戦期)最後の7か月
→⑦7月 88kg この月からダイエットが再始動(なんとなく)
→⑧11末 77kg 月に5日しか飲酒せず
→⑨12末 76kg
→⑩H29年1月1月 73kg 目標達成まであと一歩
→2月4日,72.5!
こう振り返りますと,2年のうち減量していたのは1年だけですね,,,
【ポイント】
私なりのダイエット法などを列記します。
ただ,これらは結果として近時,このように整理されたということでして,試行錯誤が積み重なったものです。
1 炭水化物をなるべく摂らない。
2 毎朝の体重・体脂肪率,また昨日に飲酒したかどうかを記録する。
→これにより,あるべき食生活,ことに飲んだらどれくらい太るとか,それを戻すのにどれくらい期間を要するかとかが自然と分かってくるので,心がけが変わってくる。
3 2の結果,自然,予め飲酒する日を予定して,それめがけて痩せる・その後に戻すための期間まで考えておくようになる。
4 ともかく2日以上連続して飲酒しないようにする(私の場合,飲酒すると1キロ~1.5キロは太る。)。
5 夕食時に,以前のダイエットではノンアルコールビールを飲んでいたが,炭酸水(私は,ゲロルシュタイナーが好き)を摂るようにした。
6 体重が減り始めたら,一気呵成で減らすようにする。減っているから大丈夫だ・このようにいつでも減らせると気を抜いたりしない。
7 結局,1キロ減っては飲んでまた戻り,また2,3日かけて減った体重に戻し,また太りの繰り返し。この飲酒で戻った体重は,わりに簡単に減るので,がっかりしないこと。
8 平日は,朝食はなし,昼は鶏胸肉のハム,夕食をいかに減らすかが勝負。
9 1キロ減らしてまた太り,また減らし,徐々に徐々にの繰り返し。三歩進んで二歩戻る。
10 まさに「生活習慣病」というネーミングは言い得て妙。今までとんでもない生活をしていたことがよく分かりました。
その他,土日は朝昼を抜くチャンスとか,水泳に行くこと他毎朝の運動とかもあるのですが,くだくだしいので略します。
私は震災前,やはりダイエットをして77キロくらいまでにしたことがあったのですが,震災後のストレスと食生活で元の木阿弥となりました。
それから雌伏5年余を経て,ようやく「復興」に至ったように思いますw
鹿島茂,自宅ハロウィンパーティー,一夏中のキャンプ
偶然とは恐ろしいもので,ふと鹿島茂にアカウントがあるのかと探してフォローした翌日,個人アカウントも開設されたとのことでフォローいただき狂喜した。
そしたら,そこから連日,ファンの皆さんをフォローされ続けるフットワーク。
いやはや,来年も展覧会をされるとのことなので,必ず行こう。
2 祝日とて,少し遅れたハロウィンパーティーが我が家で開かれる。
子どもだけで10人超も来るとのことなので,おとうさん(私)は朝から出て行く。
毎年,だいたい10月くらいから翌年の2月くらいまで,土日祝は何やかやとスケジュールが入って休めることがないのだけれど,今年は少しマシな気がする。
今日も完全に休みなのに,することもなく,現場を2箇所まわって,
前から気になっていた千厩の蕎麦屋「狸楽」に行ってみる。
多分,この辺り一帯では相当美味しい方だと思う。
でも,私は好きなものを何度でもしつこく食べ続けたいので,このように行きにくい場所にあるお店は,ちょっと好きになりにくい。
その足で藤沢町のプールへ。1キロ少し泳ぐ。
震災から6年,あれほど気仙沼でのプール再開を待ち望んでいたのに,いざ出来てみると,広くて空いている藤沢に往復2時間弱かけて通うのだから,何と皮肉なもの。
3 私の妄想。
1シーズン,唐桑の御崎野営場か,神割崎キャンプ場に我が家のテントを張りっぱなしにして,
休日とか,また平日少し早く帰ってテントに行く,という一夏を過ごしたら,楽しいだろうなーと思う。
①キャンプ道具一式を倉庫から車に運ぶ→②キャンプ場で,一式を車から降ろす→③設営する→④片付けて収納する・車に入れる→⑤帰宅して車から倉庫に運ぶ
これらの一つ一つは,そんなに面倒とは思わないようにしているけれど,やはり1泊のために,これをやるのは,やはり負担感が否定できぬ(だからなるべく2泊くらいはしたい)
「キャンプはスポーツ」なので,私の体力ではせいぜい3泊が限度だけれど,それにキャンプばかりでは飲み過ぎて良くないけれど,
一夏くらい,キャンプと自宅を行ったり来たりの生活ができたら,どんなに楽しかろう・子どもたちにもおかしな思い出として残るだろう。