私が・イソ弁を・雇った理由
一関から気仙沼に帰る道中,室根を通る度に,悔恨の気持ちがこみ上げてくる。
この町も舞台になった,私が原告代理人を務めた,
仙台地方裁判所平成19年(行ウ)第11号年金不支給処分取消等請求事件・平成21年2月9日判決(判例秘書搭載。判決直後は最高裁サイトにも掲載されていた。)の棄却判決,続く控訴審(棄却),上告(不受理)を未だに思い出すからだ。
(不思議と,行き道では思い当たらない。)
この訴訟は,私が平成19年4月に気仙沼ひまわり基金法律事務所を開業した直後に受任した。
当時,まだ弁護士登録4年目(終結時は7年目)だったが,訴訟全体として,その当時持っている力(原告からの聴取,関係者からの聴取,資料収集,裁判例の収集・分析,原告支援者の取りまとめ等々)を出しきったものだったと思う。
そう,「全体として」は。
事実の調査・把握も,法律論も,それらの現代社会における位置づけの主張も,全体としては十分出し切ったと思う。
弁護士登録12年目となった今では,少し思うところもあるが,それでも水準を超えた代理人活動だったと自負している。
が,(一審裁判長は,冷ややかなものだったが,それはそうとして,)上記準備を,一審で全て準備してぶつけることができなかったことが,私の悔やみの由来である。
ああもすればよかった,こうしたらどうだったろうと,室根の町を走りながら,思い苛まれている。
私は平素,「仕事量について,今の1.5倍までは余裕,2倍までは十分にこなせる」と公言しているけれど,それはやはり全体としてのことであって,
上記準備のことを悔やみ,当地において,いつ,どのような難事件が来ても,依頼者において存分に闘う状況を準備したいと考え,
一人でも事件自体は回せるつもりだが,平成23年1月よりイソ弁を雇用するに至った次第である。
彼らとの議論,仕事分担によって,成果が出た事案もあるので,また紹介したい。