三陸ラビリンス気仙沼(弁護士東忠宏)

気仙沼の弁護士東が,弁護士活動において考えたことなどを書いています。毎週日曜日に更新記事をアップするのを、目標とします。

【交通事故と過失割合】

相談者「・・・という事故に遭いまして,100:0で相手が悪い!」

相談者「・・・せめて,相手も20は悪いはずなのですが,,,」

 

交通事故につき初回法律相談の時から,過失割合を言われる多くの方々に接する度,私は素直に感心してしまう。

 

素人の強みで,
・ そもそも,交通事故について,(車輌・道路の欠陥がないことを前提にしても)事故の責任が,当事者間で完全に分担されるなんて本当なのか,
・ 事故当事者が,互いに過失相殺されない部分,というものがあってもおかしくないのではないのか(Xは3割減,Yは4割減で,残3割部分は互いに減じられない等),
とか,実務を引っ繰り返そうとする発言に接したことがない。

 

私は,ここしばらく,交通事故における,違法行為としての過失(予見可能性・回避可能性)があるにせよ,それと,互いに過失相殺されない部分,というのは設定できるのではないかな,との思いが拭えないでいる。

 

交通事故が,一定数の車輌を限られた車線に投入する以上,ある程度は不可避的なはずなのに(そして,その高速運搬により車輌当事者以外も便益を得るのに),その責任を当事者が完全に分担しあえるなんて,保険会社や他の保険契約者には都合が良いだろうが,果たして,ほんまかいな,彼らの思うつぼじゃないの,とも思っている。

(死亡・高度障害事例などの金額の多寡に関わらず,減じられる凄さに接する。)

 

しかし,相談者の多くが,上記のような過失割合を口にされるということは,それは,我々の素朴な感性に,ピッタリ合っている,ということでもあるのだろう。

 

それは,紛争,今回の場合は交通事故が,当事者間の責任で解決される問題であるとか,個人の問題であるとか,関係ない者に迷惑を掛けるなとか,自己責任の観念とか,喧嘩両成敗の意識とかだと思う。

 

交通事故相談で,過失相殺完全分担論に接しつつ,そして,それを前提とした実務や,それを我々が受入れていることを思うにつけ,やはり感心したり,考え込んだりするだろう。

 

(「喧嘩両成敗」の観念は,鎌倉時代に明文化されたそうで,様々なニュースと,それに対する世論の反応を読み解く上で,結構バカにできない我々の法意識だと思っている。)