一期一会と,その(若干の)しんどさ
1 まだ新人だったころ。
大阪府内の,離れた簡裁の調停で,相当事者(ここでは,申立人により,共に「相手方」として調停を申立てられた側)の代理人に,修習生時代にお世話になった先生が就く。
調停の帰り,駅のホームに先生がいて,色々とお話しを聞きながら事務所へと帰る。
やれ嬉しや,この調停の間,このように様々にお話しをしながら帰ることになるのかな,と思う。
2 大学生のころ。
弟と明石に飲みに行くかと,西明石駅に向かったら,まさに父親が改札口から出たところへ出くわす。
その辺のチェーン居酒屋に連れて行ってもらい,親子で酒を飲む。
やや上機嫌で,なにやら我々子供らの資質や将来のことなど話してくれる。
偶然,父親と外で飲んだわけで,学生生活も中途であり,またこんなこともあるのだろう,と思う。
3 気仙沼に来て3年目くらいのころ。
震災前は,市内の法律事務所は当事務所を入れて3か所で,大ベテラン・ベテランの両先生方と私,という構成であった。
両先生方(のみ)時代は,恐らく20年くらいあり,そこへ平成19年,私が加わったのだ。
ある共犯者3名の刑事事件で,ついに各被告人に市内3弁護士がそれぞれ就き(国選),もちろん検事・裁判官も出るから,
気仙沼支部の法廷に,支部管内の法曹が勢揃いした格好となった。
まぁ,そのように勢い込んだのは私だけで,皆,淡々と普段どおりの刑事弁護活動を展開していたようだが。
珍しいことであったが,また,刑事なり民事事件なりで,このようなこともあろう,と思う。
その他,色々あったはずだが,この程度にする。
上記1~3は,いずれも,その一度きりの出来事であった。
1につき調停は続いたものの,なぜか帰り道が同じになることはなかったし,2も弟と飲みに行くことは何度かあったが,そう父親に会うこともなし。
3も,そうこうしているうちに震災となり,ベテランの先生は廃業され,また市内の弁護士数も増えて,一堂に会する事件なんて,ちょっと考えられない。
月並みだが,つくづく一期一会ということが思い起こされるし,また,(上記は偶然の出会いだが)人と人とが時間を決めて会う,ということは中々の手間がかかるもので,大事にしなければならない,ということが分かる。
ちょっと話が飛んで,飲食のこと。
SNSなどで,皆さん方が美味しそうなものを食べている様子がアップされる。
私が感心するのは,よく様々な店に日々,トライするものだ,ということだ。
私など,その店の同じメニューを何度か食べて,何度か食べる内にようやく,これは旨いな,と思うようになる。
数回通う内に,だんだんに自分にとって,味が決まってくるのだ(内田百閒風)。
そうすると,私にとっては,そのように何度も通うことが旨いと思えてくる店の条件なのだから,何度も通わせる店でないといけない。
それは,店の雰囲気なり,客筋が大事で,そうなると,なにやら味とは別のところに,通いたくなる店の条件があるのではないか。
飲食くらいはリラックスして味わいたく,一期一会的な,今日のお勧めとの勝負,という感じから離れたいものだ。
もちろん,たまにはそういう雰囲気もいいのだが。