じゃりんこチエ再見
弁護士実務は狭い論点を集中的に勉強することの連続だからであろう,それら断片的知識を統合した,体系的な勉強をしたいとの欲求が常にある。
(私なりの勉強法はまたの機会に述べる。)
子どもを育てていると,自分が子どものころに経験したのはこういうことだったのか,と思い知ることが多い。
子どもを通じて,自分の断片的な記憶を,今の自分の体系・世界認識(というと大げさだが)の中に位置づけている訳だ。
子どものころに視聴していた,雑誌なりテレビ番組なりがそっくり残っていて,それを今の目で見られたら,どんなにおもしろいだろうな,とも思う。
(私は子どものころ,桂米朝をいやに取り澄ました,気に入らないオッサンだと思っていたが,80年代の高座番組が見られたら,,,と今にして思う。)
,,,以上を免罪符に,私は子どものためと言い訳して「ふしぎな島のフローネ」とか「じゃりんこチエ」のDVDボックスを買ったりした。
あのシーンは,こんな経緯の末の話しだったのかと,今さらながら感心することしばしばである。
ことに,再放送で何度見たか分からぬ,小鉄×アントニオjrの対決シーンが,あんな序盤だったとは。
私は,チエちゃんの「小鉄,おまえエラいなぁ,よぉ辛抱したなぁ」の声掛けにいつも胸打たれるのだ。